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選り抜き『遊のいろは』(その八)

 遊への入学を考えていらっしゃる方には、まず『遊のいろは』を読んでいただくことになっているのですが、結構な量なので、「おすすめ」をチョイスしました。(かわら版の第200号と第201号のアンケートで遊の関係者の支持が多かったものです。)
 春休み期間中毎日一つご紹介します。さらなる興味が湧きおこって、全編を読んでいただけるようになれば幸いです。

「守る」
 子どもが小さければ小さいほど、自分の周りにあるものを、いいものも悪いものも思いきり吸収する。そして、大人では考えられないくらい深く影響される。その影響は、心にもからだにも及ぶ。だから、子どもの「触れる」ものについては、出来るだけの配慮をしたい。
 不自然なもの、生き生きしていないもの、硬くて冷たいものは、極力取り除きたい。氣をもらって子どもがどんどん元気になるようなものをそばに置いてあげたい。
 子どもの側から働きかけられないもの、子どもが受け身のままにさせられるものは、与えたくない。子どもたちは、石ころ一つ、棒切れ一本、布一枚でも、想像力の翼を思いきり羽ばたかせることができる。そして、小さい頃存分に想像/創造性を伸ばしておくと、それが十代からしなやかで自由な思考力に姿を変えていく。子どもを車で「運搬」ばかりしてちゃんと歩かせないと、歩く力「立つ」力「ふんぎる」力が育たないように、既に出来上がったものばかり与えていると、子どもの想像/創造力は、廃用性萎縮を起こしてしまう。こんなもったいないことはない。
 子どもが喜ぶもの/ことが、子どもにとって本当は良いものでも必要なものでもない場合が多々ある。食べ物については、安心安全に気を使っていらっしゃる方が多いと思うが、子どもの心にはいっていくものにも、同じように、いや、からだの食べ物以上に気を配れないだろうか。「本物」に対する子どもの味覚や嗅覚を損なうような添加物だらけのものや、子どもを早く大人化させようとするホルモン剤入りのものは、気づかれないようにそっと遠ざけたい。
 子どもが子どもでいられる場所、子どもが本来持っているものを全面的に発揮できる場所。そんな環境を守っていきたい。(by53)
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選り抜き『遊のいろは』(その七)

 遊への入学を考えていらっしゃる方には、まず『遊のいろは』を読んでいただくことになっているのですが、結構な量なので、「おすすめ」をチョイスしました。(かわら版の第200号と第201号のアンケートで遊の関係者の支持が多かったものです。)
 春休み期間中毎日一つご紹介します。さらなる興味が湧きおこって、全編を読んでいただけるようになれば幸いです。

「ゐる」
♪We are here!
「歌う」の項に書いたように、子どもたちには「今ここ」にゐることが完全にできる。でも、そんなエデンの時期を過ぎるにつれ、人は「今ここ」にゐられなくなり、来し方行く末に思いを迷わせ、他人の目を気にし、ここではないどこかをさまようようになる。
 歩きスマホの人だけが放心しているわけではない。僕らのほとんどは、一日のほとんどを上の空で過ごす。「向き合う」ことができていないとも言える。
 電車に乗っていると、子どもと並んで座っているのにそばにゐないお母さんのどれだけ多いことか。
 同じ空間に位置しながら、生徒とともにゐない教師、患者とともにゐない医師の話もしばしば耳にする
 翻ってみて、今日僕は、何秒間子どもたちと一緒にゐられただろうか。
 来週から遊の二学期は伊豆合宿でスタートするが、いつも合宿では、朝の散歩の後に呼吸法の時間がある。好きな場所に陣取って、結跏趺坐で吐く息吸う息の数をゆっくり数える。好きな時に始めて好きな時にやめていいので、小さい子なんかは、あっという間に姿を消す。
 これは、まずは自分と「向き合う」練習なのだが、これが、将来誰かのためにある場所にちゃんとゐることにつながっていく。同時にこれは、自分のためにゐてくれている何か、人だったり草だったり風だったり太陽だったりするのだけれど、その存在に気づく練習でもある。そして、これは、あるものの価値を役に立つか立たないかという基準だけで判断するのとは対極の姿勢にもつながっていく。道端の石ころも、時に僕のためにゐてくれる。
 同じ部屋のこちら側に僕がゐて、息を吐いたり吸ったりしている。思い思いの場所に座を占めた子どもたちも、黙って息を吸ったり吐いたりして、飽きたら静かに退場していく。特別な何かをするわけではないけれど、その時、みんながみんなのためにそこにゐる。(by52)

選り抜き『遊のいろは』(その六)

 遊への入学を考えていらっしゃる方には、まず『遊のいろは』を読んでいただくことになっているのですが、結構な量なので、「おすすめ」をチョイスしました。(かわら版の第200号と第201号のアンケートで遊の関係者の支持が多かったものです。)
 春休み期間中毎日一つご紹介します。さらなる興味が湧きおこって、全編を読んでいただけるようになれば幸いです。

「体験」
 一度の体験が深く心に刻みこまれ、その後の人生が大きく変わる、そんなこともあるだろう。だが、そんな体験は、求めて得られるものではなく、受け手に準備が整った時、思いもよらぬ角度から降ってくるものだろう。
 広く浅く、休みの度にあちこちに出かけて味わった気になれる、そんな「体験」もあるらしい。「知的興味」が育ったり、「感動」が味わえたりするらしい。
 無料のお試しの別名の「体験」も巷には溢れている。
 でも、遊の田んぼのように、十二年かかってようやく(ひと通りの)完結を見る、そんな体験もある。
 世の中には「体験派」の方々もおられて、実際にやってみないとわからないとおっしゃる。でも、本当にそうだろうか。もしそうなら、戦争の悲惨さや無意味も一度「体験」しないと理解できないことになってしまう。そんな馬鹿な話はない。人間には、そんなことをしなくても済むように想像力や知性というものがある。
 でも、想像力や知性は、放っておくとおかしな方向に伸びたり逸れたり暴走したりし出す。それを防ぐには、絶えず「現実」によって軌道修正されることが必要で、米作りなら、天候や周囲の人間や田んぼの泥や虫や草と付き合わなければならない。手仕事や木工、料理なら、道具や素材に、音楽なら楽器に教えられなければならない。そして、どんな体験でも、自分のからだと向き合うという一事を抜かしてはならない。
 その意味で子どもの小さいうちはやっぱり「実体験」が大事で、それに要する期間を、田んぼについては仮に十二年と言ってみた。
 それで、十分に「実体験」を積み、その結果、持ち前の想像力という翼に磨きをかけ、いい形で「現実」からの離陸に成功したなら、(そして、願わくば、知性を知恵に進化させられたなら)、体験はあらゆる場で可能となるはずで、本を読むこと、絵画を観ること、音楽に触れることの中にも体験は生じる。around the cornerのそぞろ歩きが、世界一周の旅と等価になる。
 一度の体験が深く心に刻みこまれ、その後の人生が大きく変わる。たとえば、一行の詩との出会いをそんな体験に変えられるようになるための準備を、子どもたちは様々なアプローチで日々積み重ねている。(by52)

選り抜き『遊のいろは』(その五)

 遊への入学を考えていらっしゃる方には、まず『遊のいろは』を読んでいただくことになっているのですが、結構な量なので、「おすすめ」をチョイスしました。(かわら版の第200号と第201号のアンケートで遊の関係者の支持が多かったものです。)
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「権威」
 七才から思春期までの子どもの中には純粋で美しい権威感情が目覚める、とルドルフ・シュタイナーは言う。この時期の子どもにとっては、周囲の尊敬する人が「これは正しい、これをおこなうべきだ」と言うことを試みるのが大きな幸福なのだ、と。
 この考えに抵抗感を示す人は多い。シュタイナーの権威という考えは大きな躓きの石だ。「権威」という語には、どうしてもマッチョな父権的なイメージがつきまとう。「この時期に特に成長するエーテル体が権威の上に発達しなければならないということを知らないと、文化はだらけたものになる」なんていうシュタイナーの表現にそんな匂いを嗅ぎとる人もいるかもしれない。
 では、こんな風に言い換えてみたらどうだろうか。「子どもたちはみんな、本当に素晴らしいものに感動することができる開かれた心を持っている。本当に偉大なもの、美しいものに対する憧れや、自分もそうなりたい、近づきたいという願いを持っている。高く大きく伸びていこうとする子どもたちに寄り添い支える支柱を、今仮に<権威>と呼ぶのだ」と。
 もちろん支柱であるためには、自分自身がしっかり立っている必要がある。「そんなのは無理です。」とおっしゃる向きもある。「自分の立つ場所さえわかりません。」とまで言われる方もいらっしゃる。「地を這う植物もあっていいんじゃないですか。」とおっしゃる方もあるかもしれない。でも、(だからこそ)こう言いたい。僕たちは、遊という大地を選んだ。大空に向かって伸びていく子どもたちのそばに立つことを、立ち続ける努力をすることを選択した。その努力の姿勢を見せる人が遊に於ける「権威」だ。
 支柱は、星空にまでは届かないが、その存在する方向を指し示すことはできる。(by53)

選り抜き『遊のいろは』(その四)

 遊への入学を考えていらっしゃる方には、まず『遊のいろは』を読んでいただくことになっているのですが、結構な量なので、「おすすめ」をチョイスしました。(かわら版の第200号と第201号のアンケートで遊の関係者の支持が多かったものです。)
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「守る」その二
 二0一三年、当時十七才で警官志望だったG2に贈った誕生日の詩です。

      無題
あなたが眠っているとき
私は目覚めている
あなたが熱くなるとき
私はいつも冷静だ

あなたが迷うとき
わたしは答えを知っている
あなたが断言するとき
わたしはためらう
四角だとあなたが言う
私には丸さが見える
重いとあなたが言う
私には軽さが感じられる

あなたが見落としたものを
私は拾う
あなたが失くしたものを
私はたずねあてる

あなたが一目それを見ようと
無邪気に背伸びするとき
私は間に立ち
あなたの側を向いている
あなたを傷つけるものを
私はそっととり除く

あなたが不安な夢に怯えるとき
甘い眠りを貪っているとき
平安の中にあって
思い煩うことのないとき
かすかに震えるとき
私があなたのリズムを支えている

あなたを私は
ひと知れず守る
守りつづける

守らねば
私は……
(Wachinho)

選り抜き『遊のいろは』(その三)

 遊への入学を考えていらっしゃる方には、まず『遊のいろは』を読んでいただくことになっているのですが、結構な量なので、「おすすめ」をチョイスしました。(かわら版の第200号と第201号のアンケートで遊の関係者の支持が多かったものです。)
 春休み期間中毎日一つご紹介します。さらなる興味が湧きおこって、全編を読んでいただけるようになれば幸いです。

★遊のいろは 「ち」
「地球」
 遊の卒業証書には
「二十一世紀の地球へのあなたの旅立ちを心より祝福します。」
というフレーズがあります。と言っても、もちろん、遊が地球の外に存在するわけではありません。遊があるのは、地球の中の、日本の中の、東京の中の、国立市の中の(中3-11-2の)アパートです。
 でも、この小さな建物で育った子どもたちは、日本株式会社のベルトコンベヤーにも乗せられていないし、「同世代」という小さな枠にも閉じ込められていないので、気軽にふっと「広い世界」に旅立って行けるようです。
 この「広い世界」のことを仮に「地球」と言ってみているわけですが、何もこれは、外国のことだけを指しているのではありません。もちろん(?)結構高い割合の卒業生が海外暮らしを経験するのですが、たとえ日本にいても、今の日本の狭い常識にとらわれたり、目先の現実にだけ引きずられたりして、生きづらい思いをしている子は、まずいないようです。
 無論、「地球規模で考える(think globally)」という責任を果たしつつ、自分のやりたいことをやっていくというのが、二十代の段階で実現できているわけではありませんが、どの子も少なくとも、その方向性だけはつかんで、遊を巣立っていってくれているのだと思うのです。その意味で、遊の卒業証書は、次の言葉でしめくくられるのです。
「あなたは われわれすべての 誇りです」(by51)

選り抜き『遊のいろは』(その二)

 遊への入学を考えていらっしゃる方には、まず『遊のいろは』を読んでいただくことになっているのですが、結構な量なので、「おすすめ」をチョイスしました。(かわら版の第200号と第201号のアンケートで遊の関係者の支持が多かったものです。)
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「不足」
 1999年1月発行の『遊のこと』にこんな文章が載っていた。

「(…)与えすぎない。〈もの〉の場合はなおさら気をつける。菓子もおもちゃも道具もその他もろもろのものも、できるだけ与えない。やむをえない時は最小限を与える。最小限を与えても〈不足〉という状態は解消されない。ところが、物質的な〈不足〉の状態のおかげで、子どもたちの間にいろんなことが起こる。いろんなものがうまれる。喧嘩、話し合い、譲りあい、順番待ち、交渉、駆け引き、工夫、やりくり…。子どもたちの間からルールも自然発生する。ものさえあれば使わないでも済んだはずのエネルギーが使われる。エネルギーが消耗されるのではなく、新たに生み出される。
 〈もの〉の不足という点では、遊は、大人も事情は変わらない。本当に遊は何もかも足りない。〈不足〉を意図的に設定したのではないという点が子どもの場合とは違うが。いや、もしかしたら遊の大人を成長させようと、誰かが(神さまが?)陰で糸をひいているのかもしれないけれど。
 〈もの〉が乏しい分からだやこころはくるくる働いている。何もしていないように見えるときでも、見えない部分でものすごいエネルギーが渦巻いている。そんな場で時間をかけてじっくり育つものを大事にしたい。ちょっぴりだけどキラリと光る〈本物〉。
 時間を、お金を、〈もの〉を……。何を、どう使うのか。あるいは、使わないのか。
 遊に来ると、本当の贅沢というやつがわかる。いやでもわかる。骨身にしみてわかったりする。」

 十七、八年前の文章で、当時と比べていろんな〈もの〉が増えた遊だが、根本のところは全く変わっていないようだ。(by53)

オイリュトミーの尾崎先生のブログの記事です。

学年末の参観日でした ― 2020/03/19 19:40

 一昨日は、自主学校「遊」の、オイリュトミーの学年末授業参観日でした。
 こどもたちがのびのび動けるように、一般公開の「発表会」はせず、毎年、親御さんや専科の先生方だけが観客の、授業参観という形にしています。
 そのため、このような時ですが、迷わず開催しました。
 問答無用でクローズする公的機関も多い中、「自粛をお勧めしていますがどうされますか?」と尋ね、希望すれば開催させてくれるホールに感謝です。
 緊張しまくっていた私をよそに、こどもたちは、のびのびとよく動いてくれました。
 オイリュトミーをしているときには、その人の本質的な部分が出ると思うのです。
 もちろん、見る人が見れば、という部分もありますが、その人その人の特徴、癖や、いまどの段階にいるかということが、はっきりと見えます。
 私が、授業でいつも見ている姿なので普通だと思っている様子が、普段の姿しか見ていらっしゃらない親御さんたちには新鮮だったりすることもあるようで、参観後に感想を伺って、逆に驚いたりもしました。
 それにしても。こういう節目の時に振り返ると、子どもたちの成長が素晴らしくて、本当に感動します。
 この頃は、こどもの「伸びていく力」を信頼する、ということが体感としてわかってきた感じがしています。
  今年度は、けっこうやりたいことができたと思っているのですが、終わってみると、細かいところでおろそかになっていた部分に気づいたりもします。
 反省を元に、来年度はもっとしっかりやろう!と、学年末を前に、すでに張り切っています。

3月23日ブーケ尾崎先生ブログ

選り抜き『遊のいろは』(その一)

 遊への入学を考えていらっしゃる方には、まず『遊のいろは』を読んでいただくことになっているのですが、結構な量なので、「おすすめ」をチョイスしました。(かわら版の第200号と第201号のアンケートで遊の関係者の支持が多かったものです。)
 春休み期間中毎日一つご紹介します。さらなる興味が湧きおこって、全編を読んでいただけるようになれば幸いです。

★遊のいろは 「せ」
「全部の大人で、全員の子どもを」
 自分の子にとっていい場所を探しているうちに遊に出会うというのは、当然の流れなのだが、自分の子のことを本当に思うのなら、自分の子の周りのこどもたちのことも、考えないわけにはいかないはずだ。
 だから、遊に子どもを入れようとしている方には、必ずこんな風にお願いしている。
「ここは、全部の大人で全員の子どもを見る場所です。初めはもちろん、自分の子にばかり目が行きがちですが、少しずつ視野を広げて、遊の子みんなに視線を注げるように努力してください。」
 幸いにも遊は少人数なので、それができる。
 本当は、遊の子が幸せであるためには、遊の周りの子たちも幸せでなくてはいけなくて、その範囲はどこまでも広げていかなければいけないのだけれど、目の前の遊の子と、ご縁のある若干名のお子さんに全力投球するということで、神さまにはお許しを願っている。(by54)

大掃除が終わりました。(3月21日)

 感動の発表会の翌日は、地道に大掃除。
 おかげさまでポカポカいい天気。今回は一階の畳も上げました。

大掃除1
大掃除4
 掃除機ではなく、濡らし新聞紙&ほうき。

大掃除3
 畳の埃をいっしょう懸命にはたく1年生

大掃除2
 こちらは、板の間に敷いてある敷物の隙間に入り込んだ埃を払う3、4年生。あ、GENGEN(もうすぐ3才)がドアを拭いてる!

 もっと遅くまでかかるかと思っていたのですが、お弁当前に片付きました。あなどれない遊パワー。
 さあ、きれいになって気持ちよくなった教室で新学期を迎えられるぞ!
と思ったのですが、いつの間にか打ち上げが始まってしまい、遊25年目も実に遊らしく幕を閉じたのでした。

小さな幸せ

 遊の一日は、近所の谷保第三公園で始まります。そこで丸くなって手をつなぎ、みんなが「ゐる」のを感じてから「おはようございます!」の挨拶をします。もちろんその前にも、最初に会った時に手と手でタッチし合って挨拶するのですが、ここで気分を新たにします。
 その後、「先生からの話」、「日直のスピーチ」、体操、ランニングというのが、朝の第三公園の流れになっています。
 「日直のスピーチ」では、最近あった小さな幸せについて、みんなに報告します。「○○ちゃんのうちに行ってたくさん遊べてよかったです。」とか、「こないだの日曜に××を買ってもらえてよかったです」とか、そういうことを話せばいいのですが、小さい子なんかはほとんどが、「きのうの夜○○が食べられてうれしかったです。」タイプの食べ物ばなしになります。
 昨日3月19日木曜日は、今年度の遊の授業の最終日だったのですが、たまたま日直に当たったマーチ組担任のまやか先生がしたのが、
「まだ未来の話ですが、去年の四月から始めて今日まで一年間授業ができて良かったです。」
大体こういうような内容の話でした。
「まやか先生、これは<小さな幸せ>を話す場ですから。」
すかさずツッコミを入れてしまう代表和知。
「スケールがデカすぎるなあ。」
追い打ちをかける7年生F。
 そんなことがありました。
 さて、今日3月20日は、恒例の学期末発表会。(こっそり開催)。そして、明日は朝から大掃除。これで、今年度の遊に関わるもろもろも終わります。(おーっと、確定申告が残っていた!)
 ともあれ。

 「1995年4月に開校した自主学校遊が、みなさまのおかげで25年間続けられてよかったです。」

  ぼくが今朝感じた「小さな幸せ」をみなさまにご報告しました。 (5時55分!)

「きれいな本」の中身を少しだけ。

 伊豆分校の坂内先生から送られてきた「きれいな本」の原稿には、どの子のにも、草木染めしたフェルトを切って作った可愛い飾りが貼り付けてありました。あんまり素敵なので、パシャリ。
 どうぞご覧ください。

3月17日ふうちゃんきれいな本

きれいな本が仕上がりました。(3月18日)

 3学期の発表会でこどもたちに手渡す「きれいな本」、今日の午後お母さんたちの有志と担任で作りました。但し入学1年目の親は当日初めてもらう時の喜びをこどもと一緒に味わってもらいたいので、今日の作業には参加できないことになっています。
 「きれいな本」というのは、一般の学校の通信簿に当たるものですが、遊では年に1回渡します。数値による評価は一切書かれていなくて、代わりに、その子に関わる大人たちがその子に向かって紡いだ言葉がブーケのように束ねられています。
 表紙はこどもが自分で描いた水彩画です。
 では、今年の仕上がりをご覧ください。

きれいな本マーチ組
 マーチ組。美しいユニゾンの世界。新人のまやか先生が、緊張しながら作っていました。

きれいな本アーチ
 こちらは、アーチ組(2年生)。
きれいな本あいりす組
 次は、3,4年生のあいりす組。意外な色が顔を出してきたので、お母さんたちも、びっくり!

きれいな本青空組
 こちらは、多士済済の青空組。5,6年生です。

きれいな本α組
 そして、最後は、中1中2のα組。この子たちの絵は、層技法というテクニックで描かれています。この子たちも、大きな変化の兆しが感じられます。

青空組も幾何を勉強中です。

2月13日幾何のえみ

 2月1日にはα組の子のノートをお見せしましたが、今度は6年女子のものです。

「木はえらい」ノート版です。

 3月13日木はえらいノートのどか

 黒板の方は、ほとんどが2年生の描いたものでしたが、こちらは、4年女子が描いたものです。
 他には、「作る」、「守る」、「防ぐ」、「長生きする」、「しぶとい」などのページがあります。

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