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選り抜き『遊のいろは』(その二)

 遊への入学を考えていらっしゃる方には、まず『遊のいろは』を読んでいただくことになっているのですが、結構な量なので、「おすすめ」をチョイスしました。(かわら版の第200号と第201号のアンケートで遊の関係者の支持が多かったものです。)
 春休み期間中毎日一つご紹介します。さらなる興味が湧きおこって、全編を読んでいただけるようになれば幸いです。

「不足」
 1999年1月発行の『遊のこと』にこんな文章が載っていた。

「(…)与えすぎない。〈もの〉の場合はなおさら気をつける。菓子もおもちゃも道具もその他もろもろのものも、できるだけ与えない。やむをえない時は最小限を与える。最小限を与えても〈不足〉という状態は解消されない。ところが、物質的な〈不足〉の状態のおかげで、子どもたちの間にいろんなことが起こる。いろんなものがうまれる。喧嘩、話し合い、譲りあい、順番待ち、交渉、駆け引き、工夫、やりくり…。子どもたちの間からルールも自然発生する。ものさえあれば使わないでも済んだはずのエネルギーが使われる。エネルギーが消耗されるのではなく、新たに生み出される。
 〈もの〉の不足という点では、遊は、大人も事情は変わらない。本当に遊は何もかも足りない。〈不足〉を意図的に設定したのではないという点が子どもの場合とは違うが。いや、もしかしたら遊の大人を成長させようと、誰かが(神さまが?)陰で糸をひいているのかもしれないけれど。
 〈もの〉が乏しい分からだやこころはくるくる働いている。何もしていないように見えるときでも、見えない部分でものすごいエネルギーが渦巻いている。そんな場で時間をかけてじっくり育つものを大事にしたい。ちょっぴりだけどキラリと光る〈本物〉。
 時間を、お金を、〈もの〉を……。何を、どう使うのか。あるいは、使わないのか。
 遊に来ると、本当の贅沢というやつがわかる。いやでもわかる。骨身にしみてわかったりする。」

 十七、八年前の文章で、当時と比べていろんな〈もの〉が増えた遊だが、根本のところは全く変わっていないようだ。(by53)
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