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選り抜き『遊のいろは』(その五)

 遊への入学を考えていらっしゃる方には、まず『遊のいろは』を読んでいただくことになっているのですが、結構な量なので、「おすすめ」をチョイスしました。(かわら版の第200号と第201号のアンケートで遊の関係者の支持が多かったものです。)
 春休み期間中毎日一つご紹介します。さらなる興味が湧きおこって、全編を読んでいただけるようになれば幸いです。

「権威」
 七才から思春期までの子どもの中には純粋で美しい権威感情が目覚める、とルドルフ・シュタイナーは言う。この時期の子どもにとっては、周囲の尊敬する人が「これは正しい、これをおこなうべきだ」と言うことを試みるのが大きな幸福なのだ、と。
 この考えに抵抗感を示す人は多い。シュタイナーの権威という考えは大きな躓きの石だ。「権威」という語には、どうしてもマッチョな父権的なイメージがつきまとう。「この時期に特に成長するエーテル体が権威の上に発達しなければならないということを知らないと、文化はだらけたものになる」なんていうシュタイナーの表現にそんな匂いを嗅ぎとる人もいるかもしれない。
 では、こんな風に言い換えてみたらどうだろうか。「子どもたちはみんな、本当に素晴らしいものに感動することができる開かれた心を持っている。本当に偉大なもの、美しいものに対する憧れや、自分もそうなりたい、近づきたいという願いを持っている。高く大きく伸びていこうとする子どもたちに寄り添い支える支柱を、今仮に<権威>と呼ぶのだ」と。
 もちろん支柱であるためには、自分自身がしっかり立っている必要がある。「そんなのは無理です。」とおっしゃる向きもある。「自分の立つ場所さえわかりません。」とまで言われる方もいらっしゃる。「地を這う植物もあっていいんじゃないですか。」とおっしゃる方もあるかもしれない。でも、(だからこそ)こう言いたい。僕たちは、遊という大地を選んだ。大空に向かって伸びていく子どもたちのそばに立つことを、立ち続ける努力をすることを選択した。その努力の姿勢を見せる人が遊に於ける「権威」だ。
 支柱は、星空にまでは届かないが、その存在する方向を指し示すことはできる。(by53)
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