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選り抜き『遊のいろは』(その六)

 遊への入学を考えていらっしゃる方には、まず『遊のいろは』を読んでいただくことになっているのですが、結構な量なので、「おすすめ」をチョイスしました。(かわら版の第200号と第201号のアンケートで遊の関係者の支持が多かったものです。)
 春休み期間中毎日一つご紹介します。さらなる興味が湧きおこって、全編を読んでいただけるようになれば幸いです。

「体験」
 一度の体験が深く心に刻みこまれ、その後の人生が大きく変わる、そんなこともあるだろう。だが、そんな体験は、求めて得られるものではなく、受け手に準備が整った時、思いもよらぬ角度から降ってくるものだろう。
 広く浅く、休みの度にあちこちに出かけて味わった気になれる、そんな「体験」もあるらしい。「知的興味」が育ったり、「感動」が味わえたりするらしい。
 無料のお試しの別名の「体験」も巷には溢れている。
 でも、遊の田んぼのように、十二年かかってようやく(ひと通りの)完結を見る、そんな体験もある。
 世の中には「体験派」の方々もおられて、実際にやってみないとわからないとおっしゃる。でも、本当にそうだろうか。もしそうなら、戦争の悲惨さや無意味も一度「体験」しないと理解できないことになってしまう。そんな馬鹿な話はない。人間には、そんなことをしなくても済むように想像力や知性というものがある。
 でも、想像力や知性は、放っておくとおかしな方向に伸びたり逸れたり暴走したりし出す。それを防ぐには、絶えず「現実」によって軌道修正されることが必要で、米作りなら、天候や周囲の人間や田んぼの泥や虫や草と付き合わなければならない。手仕事や木工、料理なら、道具や素材に、音楽なら楽器に教えられなければならない。そして、どんな体験でも、自分のからだと向き合うという一事を抜かしてはならない。
 その意味で子どもの小さいうちはやっぱり「実体験」が大事で、それに要する期間を、田んぼについては仮に十二年と言ってみた。
 それで、十分に「実体験」を積み、その結果、持ち前の想像力という翼に磨きをかけ、いい形で「現実」からの離陸に成功したなら、(そして、願わくば、知性を知恵に進化させられたなら)、体験はあらゆる場で可能となるはずで、本を読むこと、絵画を観ること、音楽に触れることの中にも体験は生じる。around the cornerのそぞろ歩きが、世界一周の旅と等価になる。
 一度の体験が深く心に刻みこまれ、その後の人生が大きく変わる。たとえば、一行の詩との出会いをそんな体験に変えられるようになるための準備を、子どもたちは様々なアプローチで日々積み重ねている。(by52)
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