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選り抜き『遊のいろは』(その七)

 遊への入学を考えていらっしゃる方には、まず『遊のいろは』を読んでいただくことになっているのですが、結構な量なので、「おすすめ」をチョイスしました。(かわら版の第200号と第201号のアンケートで遊の関係者の支持が多かったものです。)
 春休み期間中毎日一つご紹介します。さらなる興味が湧きおこって、全編を読んでいただけるようになれば幸いです。

「ゐる」
♪We are here!
「歌う」の項に書いたように、子どもたちには「今ここ」にゐることが完全にできる。でも、そんなエデンの時期を過ぎるにつれ、人は「今ここ」にゐられなくなり、来し方行く末に思いを迷わせ、他人の目を気にし、ここではないどこかをさまようようになる。
 歩きスマホの人だけが放心しているわけではない。僕らのほとんどは、一日のほとんどを上の空で過ごす。「向き合う」ことができていないとも言える。
 電車に乗っていると、子どもと並んで座っているのにそばにゐないお母さんのどれだけ多いことか。
 同じ空間に位置しながら、生徒とともにゐない教師、患者とともにゐない医師の話もしばしば耳にする
 翻ってみて、今日僕は、何秒間子どもたちと一緒にゐられただろうか。
 来週から遊の二学期は伊豆合宿でスタートするが、いつも合宿では、朝の散歩の後に呼吸法の時間がある。好きな場所に陣取って、結跏趺坐で吐く息吸う息の数をゆっくり数える。好きな時に始めて好きな時にやめていいので、小さい子なんかは、あっという間に姿を消す。
 これは、まずは自分と「向き合う」練習なのだが、これが、将来誰かのためにある場所にちゃんとゐることにつながっていく。同時にこれは、自分のためにゐてくれている何か、人だったり草だったり風だったり太陽だったりするのだけれど、その存在に気づく練習でもある。そして、これは、あるものの価値を役に立つか立たないかという基準だけで判断するのとは対極の姿勢にもつながっていく。道端の石ころも、時に僕のためにゐてくれる。
 同じ部屋のこちら側に僕がゐて、息を吐いたり吸ったりしている。思い思いの場所に座を占めた子どもたちも、黙って息を吸ったり吐いたりして、飽きたら静かに退場していく。特別な何かをするわけではないけれど、その時、みんながみんなのためにそこにゐる。(by52)
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コメント
59: by Simon on 2020/03/29 at 08:06:37 (コメント編集)

いま(今)部?!

60: by chiki on 2020/03/29 at 08:22:07

大好きないろはだー!!
予想通りの大雪、うちにいる子供たち(下四人)は雪の中へ飛び出しています。今を生きてるな〜雪を見て、わー!と溢れる気持ちをそのままあらわす子供たち。そんな子供と私は今日もどれだけ向き合えるかな。